junkoの日記

アーティスト(写真・映像) www.junkotakahashi.com https://www.facebook.com/junko.takahashi.376/ https://www.instagram.com/juwakot/

消されたものと消されなかったもの。カラガンダにて。②

カザフスタンの地域は、文字通り街から一歩出ると、樹木もほとんど見なくなるようなステップ地帯の土地柄が広がる。カラガンダ市街地から外側へ出向くと、すぐに見渡す限りの草原地帯となり、所々わずかな丘陵があるようなエリアになっている。

南方へ幹線道路が1本走っていて、この道は遥か南端の都市アルマトイ(アルマティ)まで繋がっている。カラガンダ市街地から30kmほど離れたその道中に、スパスクというエリアがある。

 

f:id:juwako:20200713181701j:plain

 

そこに広がる草原上には、今は目ぼしい建物もほとんど無い場所だが、戦後この地域最大規模のラーゲリ強制収容所)があった場所である。ここスパスクを含めたカラガンダ地域には、約34,000人を超える日本人が収容されていたという。

今は収容所が取り壊され、一帯はだだっ広い草原と化していて、そのような建造物は一切見当たらない。(グーグルマップの上空からの写真では、この辺りにかつて沢山の道や建物があったと思われる痕跡がうっすら残っているのが見られる。)

このエリア内には、当時収容所で亡くなられた人達が葬られた広大な墓地がある。かつてのスパスクの日本人墓地にて埋葬された方々は245人と言われている。(2019年9月時点)


今は其の敷地は発掘調査が終了し、周囲を柵で囲われ、其処を臨むように複数の慰霊碑が立ち並び「スパスク慰霊メモリアル」として在る。ここがかつてどのような場所であったのかの痕跡はほぼ消されているが、それを物語るものとして”其れら”が存在している。

慰霊碑は20ヶ国以上、それぞれに色々な形の意匠で造られ、葬られた人々の各母国語で鎮魂を表した文字が刻まれ佇んでいる。先の大戦ではそれだけ多くの国々、そして広い地域で戦争が行われていたという事を、立ち並ぶ慰霊碑は無言で示している。

 

f:id:juwako:20220224210436j:plain

 

これまで毎年9月の半ば、このスパスク慰霊メモリアルと、カラガンダ市街のフョードロフスコエ貯水湖近郊墓地(こちらには18人の日本人抑留者が埋葬される)にある日本人慰霊碑で、在カザフスタン日本国大使館と日本人会の主催による慰霊祭が催しされている。2019年度は自分もそれに参加するという目的もあって、カラガンダを訪問した。

 

当日、参加者の方々は首都ヌルスルタンからバスで赴いて来る。慰霊祭ではそれぞれの日本人慰霊碑へ参加者皆で献花が行われ、在カザフスタン日本国大使は弔辞を述べる、という催しであった。

スパスクの慰霊碑の向こう側、元埋葬地はほぼ平原のような状態で、その敷地の中には僅かに点々と十字架が建っている。そのような空間が広がっている方へ向かい、弔辞が読まれ皆で祈る光景は、やはり象徴的なシーンだ。

それは、異国の空間に未だ漂っているかのようなものたちへ対峙するような印象だ。当時此処にいた方々がどのような状況の場所に留め置かれていたのか、この見渡す限り平原のただ中にあって、日本との距離を痛感させられるような感覚、それを僅かながらでも感じる事ができるような光景だ。

ただただ空間が広がる場所の中で鎮魂する行為は、感覚的にその場の気配と直に向き合うかのようで、それによって願わくばその漂うものが昇華されていくことへと繋がっていってほしい、とやはり思ってしまう場面だった。

この慰霊の催しは毎年行ってきたが、2020年度はコロナ禍で中止になったようだ。

数ある慰霊碑の元には、所々に新しい花束が置かれているのを散見した。街からかなり離れている場所だが、鎮魂のために訪れる人が度々ある事が分かる。

 

f:id:juwako:20220216180456j:plain

 

 

カラガンダ市街地から西へ30kmほど離れた所には、カラグ強制収容所博物館がある。博物館の建物自体、旧ソ連時代にカラガンダ地域のラーゲリを統括していた場所だったという。ここでは当時の収容者についての状況や資料の展示、収容所内の様子の再現などがある。

それにしても建物自体が当時の状態のまま残っているという物質的存在感ゆえ、その現場が醸し出す空気感は迫るものがある。実際、内部を観覧している時、精神的に重くなる空間もあったりして、じんわりと体感的に受け取るものが大きかった。

 

以前訪問したウズベキスタンタシュケントで、現地の人に薦められて「抑圧犠牲者の博物館」へ赴いた。其処でも旧ソ連の粛清被害者の資料が展示されていて、犠牲者を追悼する意味も込めて新しく造られた博物館。外観がイスラム様式のなかなか壮麗な建物だった。建物の周囲は整備され草花豊かな公園であるが、当時は処刑場だったという。現在、市民の憩いの場になっているその落差に、少々戸惑いも覚えた。

そのような過去の歴史を振り返る場としては、タシュケントの一新された施設と比べると、カラグの博物館は随分雰囲気は異なり、当時の空気感を残していたため、より身につまされる印象を受ける場所でもあった。

いずれにしても過去の出来事について、其の時代にほとんど馴染みが無かった者には、あらためて隠されていた史実を知るきっかけになる場所だ。そして、それぞれ共にソ連から独立した国として、自国が独立するきっかけにも繋がる人々の活動を、ようやく公にできて検証し展示をする事によって、現国家の自尊心のようなものを表明する場となっているようにも感じられた。

(資料館や博物館の最後の展示コーナーの多くは、独立後から現在に至るまでいかに現代的な発展を成し遂げたか、という資料を見せている。展示空間もソ連時代の抑圧的な空気感とは打って変わって、より明るく開放的な雰囲気を演出している。これには独立後の政権の自負心や意図も感じる。

けれども、今年1月にアルマトイで起きた暴動の鎮圧にロシアの部隊が介入した事態で、この国の為政者とロシアの関係が垣間見られる事に。衛星国家というイメージが立ち現われたような場面を世界中に報道され、今後のカザフスタンの成り行きはどうなるのか気になる。2018年アルマトイを訪問した時、街としては成熟感があり新旧の雰囲気も感じられる街だったので、暴動による無残な様子をニュースで見た時は驚き残念に感じた。)

 

f:id:juwako:20200607222320j:plain

 

現在の自分にとって、収容所での生活が実際どのようなものだったのかは、そこに抑留された方々の証言資料などからでしか窺い知る事しかできない。その境遇に置かれた体験については、それら資料やアーカイブを調べる事によっても、未体験の人間にとっては理解しがたくなかなか想像しにくいものである。

社会の大きな流れの中に、いきなり個人の思惑では避けられない状況へ放り込まれてしまう事態は、過去何度も繰り返し起こっている。過去の話だけでは済まされず、現在でも強制収容されてしまった人達の存在は、世界のあちらこちらから報道ニュースなどで耳にする。

自分の伺い知れないところから、突然に大きな網で絡めとられてしまうという理不尽さについて、過去の証言資料はそのような否応なく巻き込まれてしまった人々の証とすると、その切迫感は我が身に置き換えられるような感覚となるだろうか。

 

f:id:juwako:20201102192928j:plain