junkoの日記

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「Let's ZEN!」?!(笑)

先日まで東博で開催していた「京都五山 禅の文化」展を見に行った。(9/9で終了。)
近頃、何やら聞くところによると仏教ブームらしい?という事をどこかで言っていたのだが、癒し系のものが色んなところで当たっている流れで、今さらこちらもそのブームのアオリを受けているのでしょうか。
しかし、そのようなブームなどには媚びる必要のない企画の展覧会だと思うのだが、以前から見ていた展覧会チラシに載っていた「Let's ZEN!」というコピーには”なんだかな〜。。”とちょっとひっかるものを感じていたのだった。
やはり”禅”がテーマで、その中でも”京都五山”と限定される事で、宗教や日本史に不慣れな者にとっては、とっつきづらい印象があるかもしれない。渋過ぎる企画内容には、これくらいのキャッチコピーを付けないと、いう訳なのだろうか。


私は”禅”がテーマという事で興味を持って見に行ったのだが、そこでなぜ”京都五山”がキーワードなのかは、これを見て「なるほど。。」と思った次第であった。精神的なものである宗教が、世俗である権力機構とどう繋がっていき、時代に影響を与えてたのかは結構興味深いものである。
京都五山”とは、中国にならって定められた禅宗寺院の制度が、室町時代に京都で確定された上位の寺(別格上位の南禅寺+五つの寺)の事を言う。つまりこの時代、中国から入ってきた禅思想が日本で本格的に定着した時代なのである。
当時の日本では中国からの禅は最先端の思想である。それらを修得するために、わざわざ日本から出向いていった僧侶は、それこそ国を代表するスーパー・エリートであろう。そのような禅僧たちが住持する”京都五山”は、政治的な権力者である将軍や天皇から篤い保護を受けるのだが、なぜにそこまで信頼されたのか。
当時、僧侶たちの方が時の権力者などより、よっぽど自由に海外との交流があったのだろうから、政治的外交交渉に、そんな僧侶たちの知恵を拝借したらしい。その他にも、権力抗争などで忙しい将軍などのアドヴァイザー的存在だったらしい。精神的な修行を経た禅僧の方が、もしかしたら将軍や武家などより腹が据り大局的な見方ができたのかもしれない。
そのような彼らを政策ブレーンとして取り入れんがための、政府からの高待遇も窺い知れよう。それを表わすかのように、展示物にもある禅僧が着用していた袈裟は、一見シンプルなデザインだが実際見てみると豪華な織仕立てであったりする。”禅”と言えば、華美なものは遠ざける傾向にありそうなイメージだが、当時の禅宗と世俗権力との関係性がリアルに感じられ、なかなか考えさせられる。
展示の後半は、詩画軸・仏画・仏像などの作品のオンパレード。見ていて関心したのは、詩画軸の(作品も然る事ながら)表具の美しさである。展示前半は、寺所有の書画が多かったせいか、古いままだったり表具まで気を使っていない状態のものが多かった。が、作品として博物館や記念館に所蔵されるとものともなると、表具までちゃんと仕立て直したらしいものがほとんど。それらのセンスが絶妙なのである。裂の色合いや文様の組み合わせなど、この微妙なデザイン・センスは日本独自の感性、(もちろん素晴らしい)本紙そっちのけで関心したりする事もしばしば。
仏像も絢爛な感じや誇張された表現が押さえられ、どこか端正な印象のものが多いのが禅宗のスタイルなのだろうか。その分、本当の人間の姿に近い感じもあり、ちょっと親しみさえ感じられたりもする。


それにしても、これだけ高度な作品を生み出す原動力となる宗教のパワーというものは、とても気になったりする。
臨在が説いたと言われる「臨在録」(実は臨在宗とは関係無いらしい?)を読んでみる。内容は以外にも?アナーキーで面白かった。師・臨在に悟りたいと慕ってくる輩をしょっちゅう叱り飛ばしてばかりなのである。臨在のいた時代(唐代末期)もやはり政情不安で派閥抗争の時代であり、精神的に不安な人々に自律する精神を教えるため、それこそ喝を入れたのが受けたようだ。
今でこそ、宗派から面白い美術作品が生まれるという状況ではなくなっているが、精神的な部分に惹かれている人は多い。日本では世情が世知辛くなると仏教ブームになるくらいかもしれないが、世の中で現在起こっている戦争などは、ほとんど宗教絡みだったりする。未だ人々の精神的な部分は、宗教的思想が大きく占めていたりもするようだ。