junkoの日記

アーティスト(写真・映像) www.junkotakahashi.com https://www.facebook.com/junko.takahashi.376/ https://www.instagram.com/juwakot/

9.11と3.11、同時中継の日。


偶然とは言えやはり不思議な因縁も感じさせながら、少し前から注目されていた今年の9月11日。
NYの9.11の10年追悼式と、東日本大震災3.11発生から半年というこの日。日米双方の追悼するかたちを、中継などで同時に見られる事はとても興味深かった。
http://www.911memorial.org/


それと同時に先週あたりは、TV番組で双方の出来事に関するドキュメンタリー番組も多く放映されていた。色々と見ておきたいものが有り過ぎなくらいあったが、それぞれ面白く関心深く見れた。
本や記事などでこれまでも指摘され、薄々疑惑の念を持っていた事象も、関係者が発する言葉や表情しぐさ、検証映像などから、映像での証言はよりリアルな実体を見せられたようで、衝撃的だったり唖然とするようなものもあった。



日米それぞれの出来事は、自然災害とテロで本質は全く違うものだ。けれど、お互い個人の思惑をはるかに超えた事象である。
一個人では想像や理解がついていけなかったり、情報が隠されて把握できてなかったり、という点では双方ともまだまだこれから詮索される出来事なのでしょう。
自然災害でさえ、対応する人間の判断によって、被害の大きさの違いが出る。ましてや、人々の思惑だらけで進行していくような政治の世界と絡んで行われるプロジェクト(原発やテロ対策など)は、これまでに隠すべき出来事が満載だった事も、昨今明らかになっている。

おかげで近頃は、皆が関心を持って色々と報道などチェックし始めている。
人は隠されているものに関して、ついつい好奇心を持ってしまう。けれど、本当の事を知ろうという行動は、警戒心を持って生き延びるための本能的に正しい反応なのかもしれない、とも思ったりする。


何よりそれによって、多くの人命が失われたという事は衝撃的だ。直接的関係者では無い多くの人達へも、精神的に影響を与えてしまう。「9.11」という日付けだけで何を指しているのか、世界中のほとんどの人が理解できるほどに。
そして「3.11」もそれにならってか、世界中へ簡潔に伝えるメッセージとして、いつのまにか使用し定着してしまった。





日米の追悼の様子を中継で見る。双方のやり方は全く違うし、規模や質に関して比べられるものかどうか、一概には言えない。お互い関係性の近い両国が、同じ日に大きな悲劇的な出来事に向かい合うかたちを、それぞれ見ているうちにあらためて考えてしまう事もあった。
アメリカはこの日に向けて、一大イベントの仕掛けのようなものを準備する。
http://www.911memorial.org/photo-albums/911-memorial-renderings
誠に手際のよい演出だと関心してしまった。NYという大都市で行われるセレモニーとして、世界中から注目される事を充分意識して開催する。そしてその演出力によって、悲劇的なストーリーを世界中に再認識させていく。”見せる”ことに関しては、さすがにエンターテイメントのお国柄の実力が発揮される。
しかし、NYでのある意味洗練されたこれら演出を見ていると、9.11以降にアメリカが仕掛けた戦争によるアフガニスタンイラクで犠牲になった民間人の事が気になってしまう。彼らは国によって追悼されたりする事は無いだろう。




こういう思いがでてくると、東北の被災地で追悼する人々とNYの件と比べる事など、別次元のような気分になってくる。
被災地では、半年過ぎても現場は瓦礫が撤去されたくらいで、ほとんどの地域は更地のままのように見受けられる。そのような状況では、大掛かりな追悼式などは無理であろうし、地域内で身近な人達と静かに祈るかたちは自然に見える。


この日は、半年という経過した日数で区切るやり方で追悼が行われた。しかし、暮らしの中に根付いているメモリアルな行事もある。

先月8月はお盆の時期、各地でもその頃はお祭りが多い。東北地方はもともと地元に根付いた行事が沢山ある地域。自らイベントを開催できる場や組織を持っている。人々が集まり自ら立案して開催される行事には、意義は必然となり説得力も深くなる。 
8月に陸前高田で開催された七夕の様子をたまたまTVで見ていて、とても感動的なシーンがあった。煌々とした電飾の灯った七夕の山車が、夕暮れ時に明かりの全く無くなった被災地を廻っていく光景だ。
その土地や亡くなった人達の魂を鎮め、祭りの明かりを頼りとして新しく亡くなった人達を故郷に呼び寄せる、というお盆祭り本来の意味通りの光景があらわれる。慄然とするくらい美しいシーンであった。

現世と彼岸との繋がりが立ち上がってくるような光景。それは、予め演出されて見えてくるものでは無いはずだ。