junkoの日記

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やっと見に行きました。「ビル・ヴィオラ:はつゆめ」展

ようやく気になっていた展覧会に行く事が出来た。ビデオ作品は観るのに時間がかかるので半日くらい空いた時でないと行けないなーと思いつつ、今まで延び延びにしていたのであった。
予想はしていたが、今回の展覧会はほぼ近作ばかりで会場全体を通して作風に一定感はあったが、私としては、以前の作品にも好きなものがあったので、それが垣間見れず、ちょっと残念。より幅広い作風を知るのにも紹介程度にもあったらなーとも思ったが、ICCの連動企画があるから興味ある人はそちらへどうぞ、という事でしょうか。
さて、会場に入るやいなや、というか入る前から音が聞こえてくるので、いやが上にも興味津々で会場へ。最初の「クロッシング」という作品は迫力もあるしヴィオラの作風が凝縮されているように感じられて、展覧会の掴みの作品としては効果的。入っていきなりの炎上シーンでしばし見入ってしまい、一枚のパネルの裏表でイメージが違うのだが、そのような仕掛けがある事にはしばらく気がつかない始末。しかし、この映像、あまりに激しいシーンなので実写なのか合成なのかというのも気になって、目を凝らして観てしまう作品である。
と、このような作風のように、その他の作品もほぼ一見普通の人物キャラクターをシンプルな設定に置いて、突然彼らに降りかかる出来事の瞬間を描いているのだ。しかし、その何やら決定的な出来事は具体的ではなく、人物の仕草や表情から汲み取って、観る方が様々に想像出来るようにしている訳だが。
作品の着想は、彼も明らかにしているように宗教画だったりするので、多くの人がどこかで観たような気にさせる映像として仕上がっている。そのような画面の中、日常的にリアルな人物を配置させてながら突然尋常ではないシーンに一瞬で転換していくのだから、観る人にはインパクトが大きい。
別にアート作品としてではなく一般の人に見せたとしても、中々の衝撃度はあるだろう。それが、シリアスなコンセプチュアル・アートを標榜している人々にとっては、却って分かり易過ぎる感があるかもしれないが、彼がビデオという新しい技法を使いながらもここまでメジャーな作家になったのは、このような分かり易さがあったからだろうとも思う。
さらに、ビデオという技法を使いながらも、彼には様々な宗教に感心があったというのは、結局人間の精神的な領域に興味があった訳で、アートの領域だけの技法やコンセプトに留まらなかった故に、結果多くの人が観て感じるところもある作品になってしまった?のであろう。
彼がインタビューで、大学卒業後デス・ヴァレーに近い広大な砂漠でキャンプした体験を、「自分が小さくなって、地球の表面にできた、とるにたらない黒い斑点になったような気がしたのです。」と語っている。その体験の印象からなのだろうが、彼の作品には”人ひとりなど吹き飛んでしまうほどの何か大きな力の中に自分がいる”という感覚が通底となって感じられる。それは、ヴィオラが体験した感覚をこちらも追体験しているという状態だろうか。
さて、展覧会自体に話を戻すが、展示作品の全てが興味深いかと言えば、正直言ってテーマの焼き直しのようなものもあったりするのだが、やはりスペクタクル的な映像やインスタレーション作品(「ラフト/漂流」「ミレニアムの5天使」など)には、こちらも素直に見入ってしまう。サウンド・トラックも臨場感として効果的にくるので、この展覧会は”観る”というよりも”体験する”という感覚に近い印象であった。「ミレニアムの5天使」は、まさに部屋中グルグル見渡しながら落ち着き無く皆が鑑賞しているのも可笑しかったが。
それにしても、ここまで宗教がかった作品に到達してしまうと、これからはどのような作品になっていくのやら、今後の動向が気になったりというか、ちょっと心配?になったりして。