junkoの日記

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MOMATへ、府中へ

今年もこれで展覧会見納めです。
MOMATで開催していた異色の企画「揺らぐ近代」。この展覧会、内心どんなものだろうかと思いつつもソコは国立近美、やはり面白くまとめていました。学校では日本史教科の近・現代史は端折られる事が常だったが、美術史でも、明治以降、日本に洋画が入ってきてからの流れを分かり易く見れる企画が今までなかったような、と今更ながら思ったりもした。(実はあったのかもしれないが、、)この時代の作品はかなり様式が混沌としている故、評価しがたく企画にし辛かったのだろうか。観ていても、少々強引に日本画と洋画をミックスしたような画が多く、まっとうな作品と捉えていいものやらと困惑してしまう物もある。
けれど、これら悪戦苦闘ぶりがあらためて面白く見れるのも、昨今の日本美術ブームのおかげかも。実際、現代作家も色んな作風の「日本画」を現代美術の世界で展開している現象もあるし。
前半はソレこそ混沌の劇画タッチ(小林永濯の「道真天排山祈祷の図」は笑える)だが、時が経つと段々と目指すところが明確になったりで洗練されてくる。中盤、やたらシンプルで洗練された時代はかなりモダンに見えたし、身近な風景の発見というテーマは興味深かった。その後は、作家の個性が際立つ時代になり今に至るという流れ。。年表みたいで分かり易かったし、要所々にその時代のマスターピース的な作品を揃えてくるところが、やはりMOMATらしい企画でした。


さらに同時開催の現代写真の企画「Resolution」を観る。「揺らぐ近代」の中での”風景の発見”というテーマにリンクするような企画にも思われた。それぞれの作家が見出した風景。写真は現実から素材をピックアップしてくるから、作家が何をどう見ているのかがとても分かり易い。
一見してデジタルで処理したと分かる作品(色使いやトリミングに洗練さを感じる)は、やはり若い作家であった。コンセプトが明確な伊奈英次は、ここでは一番年長(50歳くらいだが)、と何となく表現の仕方にも世代が少々見えるのも面白い。伊奈英次氏の「WATCH」という各国の監視カメラを撮ったシリーズ、監視カメラのお国柄はいかが?とジッと観察。NYの設置が一番分かりにくい印象でちょっとゾッとし、日本とシンガポールはカメラが新品っぽい。。鈴木崇氏の作品も静かな印象だが、まるで作家自身の視点をそのまま見せられているようで、不思議な感覚の作品である。などなど。。。と、決して派手な作風ではない作品群だが、作家自身が丁寧に風景を観察し感知しているので、こちらも注意深く観ると色々発見出来る。


お次は、府中市美術館の「府中ビエンナーレ」。こちらの企画も比較的若い世代(”ポストバブル世代”と括っているが)の作品展。出品作家の中で、知人でもある小林耕平氏の新作も楽しみにしていたが、この世代の特徴も観てとれるようだった。
まず小林氏の作品について。初期作品からずっと見ているが、作風は以前とは随分と変わっている感じ。共通点は、機材は高度なものでは無く、画像も複雑な変換は行なわない、というところか。近作は、何気ない光景なのだがジンワリと意識が変化していくような感覚になるシーンを連作している。今回は更にシンプルだがシーンの一つ一つが絵的に洗練されたような印象。彼を引き合いにさせてもらったが、会場を一回りした感想は、素材やコンセプトも様々だが、比較的身近な素材を無理なく洗練された手法で仕上げているような様子。加えて一見した作風に男女の区別が分かりにくい。性差の意識が薄くなっているのも、この世代の特徴なのだろうか。。


という事で、もう終わってしまったものばかりです。今更感想などいかがかしらとも思いましたが、今年の観覧記の締めという事で。あしからず。。。