junkoの日記

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視線の力学。

juwako2008-02-17

映画を観ている時、なんとなく気になっていた事が具体例として描かれている場面に出くわす事がある。人間ドラマの場合、登場人物の相関関係について腑に落ちる場面を見つける。すると自分の過去の或る気分が蘇り、その心境を反芻しているうち「なるほどー、そういう事だったのかー。」と思わず納得したりする。そして、人生ドラマについての雛型を垣間見てしまったような心持ちになるのだ。


さて、たまたま最近の作品でイギリスものの映画を続けて見た。「クィーン」(監督スティーヴン・フリアーズ)と「あるスキャンダルの覚え書き」(監督リチャード・エアー)の2本。
「クィーン」はダイアナ元皇太子妃の事故死の時、エリザベス女王の対応ぶり、王室、政府間などとのやり取りを再現したドラマ。「あるスキャンンダルの覚え書き」は若い女性教師と教え子との不倫、彼女に同性愛的な感情を抱く老女教師との関係云々を描いた愛憎ドラマ。
どちらの作品も女性同士の微妙な心理関係を見せつけられる映画。(でも女性だけの心理関係とは限らない。)おまけに、主要な登場人物のキャラクター設定もなんとなく似ていたりする。メイン・キャラは厳格で保守的な性格の老女(エリザベス女王、老教師バーバラ)、相対する人物キャラはナイーブな性格の若く美しい女性(ダイアナ妃、若い教師シーバ)。このようなキャラ設定は、反目し合う関係性としてステレオタイプ的によく扱われる。これらの映画では、芸達者な役者たちのおかげで、2つのキャラの拮抗がなかなか面白く見れる。(やはりヒール・キャラ役のヘレン・ミレンとジュディ・ディンチは圧巻。)
若い女性達はナイーブな性格ゆえに思わぬ出来事に巻き込まれ、いつの間にかアンチ・モラルの領域に入ってしまい、結局身の破滅へ。厳格な主人公達は世間的なモラルを通そうとするゆえに、彼女らのコントロール不能な行動がどうしても解せない。しかし、何よりも許しがたく感じたであろう事として、脆く危ういキャラクターが人々の視線を思わず集めてしまう点で、彼女らの言動にその魅力があるようだ。
「クィーン」の中で、ダイアナ妃について”彼女が人々に人気があるのは、その弱さゆえである。”というようなセリフがある。人はなぜか脆くナイーブな精神の持ち主が気になる。その脆さが引き起こす顛末や無軌道振りに、”次は何をしでかすのやら”と好奇心のような心持ちで思わず興味をひかれる。さらに、視線に晒される人間が晒されるに値するような若くて美しい存在であれば尚更である。
よって、そのような弱さを見せられない、見せる事など考えられない立場の人間にとっては、ジェラシーの対象にもなる。だから、全くキャラが反するような2人が、好奇心によってお互い興味を持てれば強力なパートナー・シップになるが、どちらかがバランスを崩せば我慢ならない対象となってしまう。お互いの存在権主張の張り合いとなり、案の定、片方が消えていってしまう。
注目の的となる脆さはやはり破滅の道へという顛末になり、憎まれ役の主人公達はしたたかに生き延びていく、という図式も2本の作品ともまた共通するポイント。見ているこちらは、「果たしてどちらの人生が興味深いやら、いいのやら、、」と思う。しかし、大抵の人間は内面的にはどちらのキャラも持ち合わせていたりするもの。それが時と場合によって、どっちかのキャラが前面に出てきてしまったりする。少々の演技をしつつ、それでどうにかバランスを取りながら行動し生きていくのだ。なので、映画を観ながら登場人物たちの行き過ぎなやりとりに思わずドキリとした場合は、身に覚えがあるという事。”人の振り見て我が振り直せ”と内心少々苦笑しながら言い聞かせる自分がいたりする。(笑)


それにしても、イギリス出身の映画監督って割りと人を描くのがメインの作品が多いような気がする。人間を丁寧にしつこく描くようなテイスト。ケン・ローチマイケル・ウィンターボトム、毛色の変わったところではピーター・グリーナウェイデレク・ジャーマンケン・ラッセル、おまけにヒッチコックもそうだった。さすがはシェークスピアを生んだお国柄?(シェークスピアも思いっきり登場人物が絡まり合うが、ラストはジグソーパズルの最後の1ピースのようにピッタリ納まるような描き方は恐れ入る。)