junkoの日記

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古き詩歌より思うこと。

青青子衿    青い青い 襟姿のあなたを思うと  
悠悠我心    わたしの心がひろがっていく
縦我不往    たとえわたしが あなたのもとへ訪ねないからと
子寧不嗣音   どうして 便りもくださらないの


青青子佩    青い青い 帯玉飾り姿のあなたを思うと
悠悠我思    わたしの心ははてしない
縦我不往    たとえわたしが あなたのもとへ訪ねないからと
子寧不来    どうして 来てくださらないの


挑兮達兮    お会いしたくて 行ったり来たり
在城闕兮    城門のもとで ずっとお待ちしていた
一日不見    一日 会わねば
如三月兮    三ヶ月も お目にかからないようだ



”子衿”という詩。 この詩が詠われていたのは、鄭州のあたりと伝わっている。作者は無名氏、つまり詠み人知らず。古くからの歌謡のようなものかと思われます。中国最古の詩集『詩経』の中にある詩のひとつです。
詩経』というのは、紀元前12〜7世紀頃にかけて詠われ口承されてきた民謡や宮廷・祭祀の際の歌謡などを孔子が編集したもの。
その構成は、3つに大別されています。
1.各地の民謡を集めた「風(ふう)」
2.貴族や朝廷の公事・宴席などで奏した音楽の歌詞である「雅(が)」
3.朝廷の祭祀に用いた廟歌の歌詞である「頌(しょう)」



詩経の中の「風」の詩は結構面白い。これらは古くから人々の口承によって伝えられてきたもの。簡単な言葉遣いで韻を踏んでいたり、ノリがよい感じで詠える。という事から、長年人々の間で伝わってきたのでしょうね。
恋歌がやはり多いのは、人によって色々と解釈や深読みできるものですし、詠っていても楽しくなる。この”子衿”も、一見恋歌のように思われますが、内容については「春の神を乙女たちが踊りながら東の城門で迎える歌」という説も唱えられている。





もうひとつ、がらっと趣の違う詩。 時代は下り、宋時代の詩人、王安石の作。
”夜 直”
金炉香尽漏声残   金の香炉も香燃え尽き水時計の音も次第に消えていく
剪剪軽風陣陣寒   微風がさっと吹き渡りにわかに寒さを覚える
春色悩人眠不得   春の気配は悩ましくとても眠れそうにない
月移花影上欄干   月はいつしか花影を移して欄干にまでのぼらせた


この詩が詠われたのは鄭州の隣の街、開封。宋の頃、ここに都があった時、宮中役人であった王安石が、宮廷に宿直していた夜半頃を描いたものです。
この作は、春の情景を詠った漢詩としては、名作といわれるもののひとつとされています。何やらその場その時一瞬の空気感みたいなものを、微妙な気配として感じさせてくれる。なんとも繊細ーーと始めて読んだ時感動しました。
先の”子衿”は古代歌謡らしいナイーブさがありますが、この”夜直”はさすがに宮廷仕えの詩人らしい洗練さが漂ってきます。





詩は面白い。特に漢詩は、風物が少なからず日本に近いところもあるせいか、情感として分かることが多い。なによりもその時、その詩を詠った人の心情が、何百年、何千年前であったとしても直接伝わってくるのが驚きです。
それから、中国の詩人はかなりの数が役人であった事も興味深い。彼らの多くは隋から始まった試験制度、科挙に合格した高級官僚でもあった。政治家でもある彼らですが、詩作するくらいの感性を持っているので、体制に不満があれば批判的な言動をしたりもする。”夜直”のような宮廷の情景を描いた洗練されたものだけではなく、国の現状を長々と憂いた、戦場絵巻のような作もあったりして、広く世間に訴えるような役割をしていた。
そのせいもあってか彼らの後半生は、政治的な圧力を受けたり、左遷させられたり結構悲惨であった者も少なくない。(王安石も政敵に破れ下野している。)
エピソードとして面白いのは、官僚であった詩人の詩が宮中内だけではなく、当時の一般市民にまで伝わっていた事もあったという。それだけ彼らの詩の内容に、多くの人が共感するリアリティをもっていた、という事なのでしょう。



彼らが詩を作ってきた時代は、現在とは違う社会状況や倫理観ゆえ、色々な苦労や悲惨な出来事が今日以上に日常的だったわけで、そのような時代背景がありながらも、現在まで残ってきた詩を読むと、何だかこちらも活き活きしてきます。彼らの喜怒哀楽が直接伝わってくるようだからです。
彼らの作品の独自性や美しさだったり読んだ人の共感の大きさ、それらが強度となって幾多の時代を潜り抜ける事ができたのでしょう。(この事は永く支持されている様々なジャンルにも言える現象でしょうが。)
詩というのは、一瞬を描き出すような作業です。その場のリアリティを凝縮し、いつの時代にそれを紐解いてみても新鮮味がある、タイムカプセルみたいなものでしょう。