junkoの日記

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仙崖について思ったこと

   
仙崖 一円相画賛            仙崖 頭骨画賛
 
気になる仙崖。私は知らなかったが、かの良寛とほぼ同時代の人らしい。しかし名前は知らなくともあの「○△□」はどっかで見た事があった。まるでミニマル・アートである。
今回の展示の画の他にも上の「一円相画賛」も見た事があるような。。画とともに書いてある文”これくふて茶のめ”。茶室にこの掛け軸があって茶菓のかわりにコレを見せられたとしたら、客人はどういう反応すれば良いでしょう?そんな光景まで想像してしまうほどのインパクトである。意味ありげな画の意味を自ら煙に巻くように仕向けているような。
もう一つ画を紹介。「頭骨画賛」の文は”よしあしハ目口鼻から出るものか”。さすが禅の和尚の言いそうな?お言葉である。西洋でも中世頃から画のテーマとして裸の美女と骸骨を一緒に描いたりして”盛者必衰”的な戒めを表す表現はあったが、ヨーロッパの画家が描く画はリアルさと重厚感を感じさせ、観てるとどうも生々しいし、ちょっと説教臭かったりする。その点、仙崖の画はこのシンプルな手法がかえって枯れた感じにも見えるし、何よりもユーモアを感じさせる。死ぬ事をそれほど大事に表していないのが、やはり西洋と東洋の違いなのだろうか。
禅僧が画を描くのは、教養のためではなく教えを民衆に分かりやすく伝えるために描いたという。もちろん当時の禅僧というのは、民衆や大抵の武士などと比べれば大変な教養のかたまりであったに違いないから、簡単に描いたようでも禅の教えのエッセンスなのである。そして、私が彼の画を見て”ミニマル・アートっぽいな”と思ったのも、”シンプルに見えながら、何か侮れないものがある”という印象があながちそんな背景から感じられたのだろう。時代性など超越してストレートに言わんとする事が伝わってくる。けれど仙崖のにはユーモアがあるから、直球ストレートというよりもスライダーといったところでしょうか。しかし、このちょっと掴み所のないような様相が禅ならではなのだろうか、ととりあえず解釈してみたりする。
ところで、この仙崖さんは一時期に現在の横浜南区にある宝林寺という所で修行をしていたらしい。我が家からさほど遠くないところである。これも何かの縁?かも。そのうち尋ねてみよう。

さてさて、現在進行中の制作やらで自分の頭がいっぱいになっている時、時代やら国やらを越えて目に飛び込んでくるものの中に「あ!」と思ったりするものがある。とたんに世界が広がったような気分になるのだが、この日の体験も後々じんわりと効果が現れることを期待しつつ、再び制作モードに戻っていくのであった。
(終わり)