junkoの日記

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「伊東豊雄」を体験する

ここしばらく内外の話題の現代建築家の展覧会が続いているが、この「伊東豊雄 建築 | 新しいリアル」もいよいよ"伊東豊雄 登場"という事だろうか。
建築に関してさほど詳しいとは言いがたい私でも、彼の建築作品のイメージはなんとなく浮かんでくる。重厚で威圧的な建物とは反対にある、どこかオープンで抽象的なシンプルさが漂うイメージだが、シンプルといってもミニマルっぽいクールさは無い。どこか有機的な暖かさがある。
展覧会を実際見て、このように抱いていたイメージが、彼の長年考えてきた建築の在り方によって生み出されたものだった、というのが分かり興味深い。
会場入ってすぐに、最新作のプロジェクトの様々なプレゼンテーションが展示されている。その中で、彼の提唱する「エマージング・グリット(生成するグリット)」が抽象的なパターンでCGによって描いた画像があった。それはまるで顕微鏡から覗いた多孔質の植物の断面図のようで、思わず先日観覧した「仏像」展カタログ掲載の木彫像用材の写真を思い出してしまった。
このように、或る意味分かり易い形体に落ち着くまで、これほど膨大な作業や試行錯誤によって生まれてくるのか、という過程を見せてくれる展示は、建築家の展覧会ならではだったりする。まるで、彼らの頭の中を覗き込むような感じだ。
しかし、この手の展覧会で毎度驚くのは、プロジェクトごとの膨大なプレゼンテーションの様々な資料である。手書きのスケッチから高度なCGアニメーションまでと色々である。コンペで通ればそれらも報われるが、通らなかった場合にはそれらを作り出した膨大なエネルギーの喪失はどうなるのか、と考えただけでも想像を絶する。以前、安藤忠雄の『連戦連敗』という本を読んだが、こんな事は当たり前のように考えていないとやっていられないという様子が伺われた。
そんなタフな建築の世界の中で残っていくのは、やはり考え抜かれた形という事なのだろうか。建築に関して門外漢の私が言うのも何だが、伊東豊雄の「エマージング・グリット」という形を提唱して受け入れられたのは、彼が考えていた人間と建築との親密な関係性が今の建築に必要という事も想像できる。"建築と人間"というか"造る側の建築家とそれを体験する人間"の関係性を、彼はずっと考えてきたように見受けられる。それは、彼の前の世代が作り上げてきた建築への反抗とも受け取れる言動にも表れている。
さらに、この「エマージング・グリッド」には中心が無く、内側と外側の区別も無い形体である。このような抽象的で軽快な形は、その空間を体験する者にとっても様々なイメージが湧いてくるだろう。
それにしても興味深いのは、構造力学とコンピューター・テクノロジーの発展についてである。概念としてはユニークな形であっても、構造的に実現可能かどうかが問題のようで、不可能であれば現実の建築物として実現しない。しかし、昨今のテクノロジーの発達によって構造家も複雑な計算ができるようになり、今までは不可能だった形の構造が作れるようになったのである。テクノロジーの発展によって、水平垂直の力学から解放されて、ダイナミックで有機的な形が可能になったというのも面白い話である。伊東自身、テクノロジーの発展に関してオプチュニストらしいので面目躍如であろう。
実際、会場には「エマージング・グリッド」が体感できるエリアもあったりで、「新しいリアル」を体験出来る展覧会となっている。