junkoの日記

アーティスト(写真・映像) www.junkotakahashi.com https://www.facebook.com/junko.takahashi.376/ https://www.instagram.com/juwakot/

HCBはダンスが上手。

東京国立近代美術館での「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌」を観覧。
(近頃、写真展を真面目?に見に行く事にしているのだが、ブレッソンはメジャー級の作家なので、あえて取り上げるのも気恥ずかしいような気もいたします。)
それにしても、きっとかなり多くの人が、ブレッソンの写真と知っているか否かに関わらず、どこかで彼の写真は見た事があるのでは?と思われるけれど、これはなかなかすごい事なのではないでしょうか。。。


今回の展覧会には、ブレッソンの代表作がかなり来ている。資料やブレッソンが描いたデッサン(これがかなり上手い。)も結構あるうえに映像も数本上映、、と相当盛り沢山な内容。
彼の写真の特徴としては、ひとつの画面の中に様々な人の表情や仕草を絶妙なバランス・センスで捉える事。観る側はそこから色々なドラマを喚起させられる。スナップの名手と言われている所以だ。
そして、今回これだけの量の写真を観て、あらためて気がついた点。それは、観る側の感情を刺激する写真の割には、写っている人達がカメラの前で感情を露わにしているイメージは以外に少ないという事だ。報道写真に有り勝ちな人々の極端に感情的なシーンや、壮絶な現場写真というものは、かなり限られた点数である。(もちろん彼は報道写真家というくくりでないのだけれど。)
ブレッソンは歴史的事件を目前で遭遇していながら、事件そのものを捉えるより、事が起こる前の予兆や惨事が起こった後の変化の気配を感じとった人々などをを撮影する。写っている彼らの見せる微妙な表情を観て、こちらは彼らの背後で起こったドラマをよりリアルに感じ取るのだ。
この微妙な気配を感じ取るブレッソンの直感力や、画面の構成力には感服してしまう。彼の”目前に差し出された被写体によって呼び起こされる幾何学を得られないだろうか。”と言う言葉から、現場の熱気とはうらはらなクールなスタンスが伺える。
しかし、彼はやはり人間に興味があるのだろうなーと感じるのは、風景写真との落差である。ブレッソンの写真で、人が写っていない風景イメージは、あまりにも寂し過ぎる。


今回、彼の関わった映像作品が数本きているが、中でも、ブレッソン自身が写っている映像は、彼のキャラクターが垣間見れて面白い。幼少期は中産階級のちょっとお育ちが良さそうなハンサム・ボーイ。サラ・ムーンが撮ったドキュメンタリーでは、晩年期だがなかなかチャーミングな印象である。
街中で撮影しているシーンでの姿は、被写体にさり気無く近づいていき、撮ったら瞬間的に踵を返すステップが、まるで踊っているかのよう。
”その一瞬を待つあいだ、私は神経の束になる。この感覚はどんどん大きくなり、そして爆発する。それは空間と時間があらためて結ばれた肉体的な喜びであり、ダンスだ。”(ブレッソンの言葉より)
三脚たてて大型カメラで撮るよりも、手持ちライカがお似合い。ブレッソンは小さなライカを抱えながら、軽やかにダンスのようなステップを踏みつつ撮影していく。



 竹橋のお堀端あたりで。