junkoの日記

アーティスト(写真・映像) www.junkotakahashi.com https://www.facebook.com/junko.takahashi.376/ https://www.instagram.com/juwakot/

昆明での滞在記2.


撮影場所について。





より大きな地図で 昆明市 雲南大学 新区 を表示







この新区は「新昆明」と呼ばれ、昆明中心街から南東に位置する呈貢区にある。中心街から移転した行政地区と雲南大学、師範大学、民族大学などの大学が集まる新学園都市となる。
新区の中心を通っている彩雲南路は、市街地へと続いている。その道路の下に地下鉄1号線が走っている。(新区以外の路線は、反対に高架となり道路の上を走る。)地下鉄は5月20日に開通したばかりで、途中に国際バス発着駅や、中国最大の螺蛳湾卸売市場(翡翠や水晶が名産なので覗いてみた。確かに施設は異常にでかいし、店があまりにも多すぎる。どの店がいいのやら大いに悩む。)などがある。
地下鉄沿線には、今後も数箇所に経済特区が完成する予定らしい。新昆明はその終点にあたる。




新区にある地下鉄駅のどの駅でも、地上へ出るとまず目に入るのは、広々とした人の姿も滅多に見かけない彩雲南路の交差点。周囲は建設工事の真っ最中で、どこへ行っても埃っぽい。けれど見渡してみると、周りを囲む山並みや近場にある大湖滇池も見え隠れするような、なかなか悠然とした景観が見られる場であったりする。
ここはもとはほとんど農地だったようなので、それほど大きな集落もなく、平坦なエリアが大きく広がっている。市街地からもそれほど離れていないし、開発する側としてにはうってつけの場所と思われたのか。










マンションも建っているが、広大なエリアの中でまだ限られた場所のみに点在。おかげで彼方にある建物群が見通せて、中央にある彩雲南路を中心として、シンメトリーに配置されているのが分かる。
出来上がっている地区でも、入居者はあまり居ない様子。そのためか、今のところバス路線のルートは限られているし、バス停も少ない。タクシーも滅多に見かけない。このエリア内での移動は、車かバイクが無いと大変不便だ。
私はしかたなく延々と歩くしかなかった。空白地が多いため、遥かに見えている目ぼしいエリアへ辿り着くまで、移動はとてつもなく時間がかかる。



こんな状況の中では、この広々とした空間に居る人間の姿は珍しいものとして映る。見渡す限り人影は無く、半径数百メートル以内に私以外歩いている人間は居ないのではないか、と思えるほど。
たまに歩いている人を見かけると、「あの人はこんな所をなぜ徒歩で来ているのだろうか。」と不思議に思ったりする。(自分も同じようにトボトボ歩いているのだが。)
それにしても、天気の良い昼下がり、日陰が全く無い状況で炎天下の中を歩き回わるハメになったりして、体力的に思わずきついロケとなる。












今回の場所はこれまで訪れた場所と較べても、未開発であり、強烈に目を惹くようなランドマークが見当らない。なので、余計にただただ広大な空間のみが印象的に思えてしまうようだ。
とりあえずこの新区の象徴でもある、雲南大学(1922年創立、重点総合大学)へ行ってみた。
エリアの中央を突っ切る道路の終点にあたるような場所に存在する。新区の一番奥の丘陵地帯が始まる辺り、小高い地形を活かして新区を見下ろすように建てられている。施設のこのような配置からして、此処がランンドマークにあたるという意味なのか。
確かに少し離れた場所からも見える、大学内の小高い所にある建物は少々気になっていた。パルテノン神殿のような造りは、周りの景観から浮いた存在感。しかし、建物自体の大きさは周囲の広大さに較べると少々迫力不足か。



校内は工事している所もあるが、開校はしているようだ。大学施設なので、出入りはそれほど厳しくない様子。校門にいた警備員からも特にチェックは受けなかったので、見学してみる事に。



 



校門正面の彼方には、気になったパルテノン神殿風の建物が聳えている。延々階段を上り近づいてみる。まだ工事中なので、一体何の施設なのか分からず。近くだとそれなりの大きさなのだが、人が滅多に見当らないため遠目では実寸サイズの検討がつかない。
小高い場所に造られたこの建物を背にすると、新区全体が見渡せる。おまけに滇池やその対岸に聳える西山景勝区あたりまで目に入る、なかなか壮大なパノラマだ。



以前、オルドス市へ訪れた時も感じた事であるが、もとからある地形を活かして、仰々しいほどに雄大な景観を、実際に新しく造ってしまうところは唖然としてしまう。やはり国土の広さが大きく違う事や、土地はもともと国が管理しているものなので、広範囲の開発を一気に進行させるのが可能なのだろうか。
このあたりの感覚は、日本人がいうところの”借景”という意味合いとは、規模や認識が随分違う感じがする。



目の前にある光景は、確かに壮観な眺めである。けれど、ここは観光地ではなく、アクセスする人も限られている場所。実際にこの景観を見て感慨深く思う人は、果たしてどれくらいいるのだろうか。
まだまだ余白の多い見渡す限り広々とした空間は、「新昆明」計画の大きさを感じると同時に、一体いつ完成するのだろうという不確実性の表れのようにも見えてくる。