junkoの日記

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撮影場所について。


中国では1990年代くらいより、全国各地で経済発展に伴った大規模な再開発や区画整理が行われ、街並みが急速に変貌していく状況が続いています。
この事業は、2008年北京オリンピック開催が決まった事に合わせて、2000年に入った頃の北京は、様々な所で取り壊しや急ピッチな建設ラッシュなどが展開されました。その様子は色々と話題にのぼり、海外へも多く報道されました。
しかしオリンピック終了後は、この件についての報道はピークを過ぎ、取り上げられる事も少なくなったように見受けられます。けれど、それら事業は今も変わらずに進行しており、その場の光景を急激に変貌させています。



今回、撮影のテーマとなった場所は、北京市朝陽区の中にあります。北京郊外で現在最も再開発が著しい場所のひとつのようです。
北京中心街からは北東部にあり、北京首都国際空港へと繋がる高速道路のそば、空港からは7・8km離れた場所という立地のため、この周辺一体の広大な地区は、高層マンションやテーマパークなどが建設される予定になっているらしいとの事。そこはちょうど、北京の都市空間と郊外周辺の農村部との境界に位置するエリアにあたるわけです。



この地区は2010年始め頃から、突然取り壊しが始まりました。ここには北京在住のアーティストなどが住む芸術区もありました。
同年2月に強制的な立ち退きによる住民への襲撃事件が起こります。それにより、ここに滞在していた日本人アーティストが怪我をする事件にもなったため、日本でも当時新聞報道がされました。
その直後に、芸術区を含むこの地域の強制立ち退きに抗議するデモが北京中心街で起こり、アイ・ウェイウェイなどアーティスト達が参加する事態にもなりました。
このデモが起こる以前にも、内外のジャーナリストやカメラマンがこの地域へ取材に来ており、海外のアート雑誌に住民のポートレイト写真などが掲載される事などもあったようです。そして、デモが行われた様子は世界中に配信されました。しかしその事によって、デモ直後から国内での報道取材は規制が敷かれ、この件についての話題は取り上げられなくなり、どんどん関心が薄れていきました。



私は2010年7月頃、この地域を始めて訪れました。当初、私はこの地域の現状をほとんど知らなかったので、広大なエリア一面に、取り壊されている家々の瓦礫が延々と広がる風景に、混沌とした強い印象を持ってしまったのです。
同年10月、再び訪れこの地域を巡っていたところ、偶然にある村の民家が壊されつつある現場に遭遇しました。この地域に200年くらい前からあるといわれる村です。昔ながらのレンガ造りの民家、四合院家屋が多くある、郊外の落ち着いた農村風景が見られる場所だったのでしょう。しかし現在、周辺はすでにほとんど更地になりつつあり、この再開発地域内では最後に残った集落のようでした。



四合院家屋は鉄筋が入っていない造りなので、重機で簡単にレンガが崩されていきます。その光景を見てしまってから、ここを取材する事に決めました。そうして、その後度々訪れる事となったのです。
私が取材を始めた時、以前は国内外から数多くの取材者がこの周辺を訪れていたという事を、自分はまだ知りませんでした。そして、実際私が訪れていた期間中にも、報道関係者らしき人に会う事は一切ありませんでした。
報道規制により部外者の関心が薄れてしまった事で、この地域はさらに打ち捨てられてしまったかのような雰囲気を漂わせており、その醸し出される状況に私は興味を惹かれたのでした。