junkoの日記

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オルドス滞在記。その2


今回のロケで此処を訪れた理由は、全く何も無い場所から造り上げられた街、という特殊な成り立ちに興味を持ったからです。
この康巴什(カンバシ)新区は、平原の中に忽然と現れ、今も現在進行中で流動している街なのです。




オルドス空港から約10kmの位置にあるこの街に存在しているものは、大体が出来て間もないものか、これから完成させていく途中のものという様相です。
開発エリアはどんどん広がっていき、街の大きさは外側に向かって止めどなく増殖している状況。もともと平原で何も無かった場所であった故、開発し易かったという理由もありそうですが。









まず特異なのが街の中心部のつくり。ここが社会主義国家であるという状況が、この中央に造られた空間に表れているようにも思われました。
目立っていたのは、まだ新築間もない様相のオルドス共産党委員会や行政関連ビル。広い敷地のちょっと小高い場所にどっしり構えています。周辺では、公安の車がやたら多く周回していたり、警備職員が衛兵のように定期的に闊歩している姿(天安門広場で見たような)も、ちょっと物々しい。
この地域を管轄している中枢は此処である、という存在感を見せつけるように、他の建物とは違う威圧感で聳え建っています。




これら行政ビルを基点として、目の前の広場から長さ約2km、幅200mほどある公園やオープンスペースなどがどーんと広がっています。その両脇には、行政・公共的なビルや人々が集うためのアミューズメント施設が点在。
このような公共空間は、大抵の人が面白くもなんとも無いと思ってしまうかもしれませんが、結構こういう公共的な場所のつくりに関して、そこを管轄している側や地域のカルチャーのセンスも垣間見れ、以外に面白い。
人々が集まる公共的オープンスペースというのは、大抵色んなカルチャーの理想形が表層的にミックスされたり、地域固有のカルチャーも入ってきたりして、まとまりがあまり無いキッチュなものとなってしまうのが常。そうして単に色んなアイディアの羅列となって表わされてしまう。



成吉思汗(チンギス・カン)広場




特に社会主義国家の場合、雄大で力強くといった意匠がステレオタイプ的に用いられる。この地域は騎馬民族が台頭していた歴史があり、さらにここオルドスはかのチンギス・カンが没した場所とも言われている。そのためこのスペースには、彼らの勇壮さを称えたモニュメントも多く、より勇ましい様相を表わそうとしている。
やはりちょっと不思議なセンスだな、と思われたので紹介までに。



中央:図書館、 右:オルドス博物館



劇場?



蒙古広場 (金の像の反対側には、同じように銀の像が並んでいる。)



夏の日差しには眩しいくらいのまだ新しい広大な空間には、集う人の姿もあまり見当たりません。何やら茫漠とした趣きで横たわる街の中央に広がる空間は、このカンバシの有り様を象徴している光景にも感じられます。



去年あたり海外のリポートでは、”この街はまるでゴーストタウン”と表現されていました。その頃と比べると、今のカンバシには徐々にでも住民は増えつつあるよう見受けられます。
しかし、何も無いところから造り出されたこの街には、独自に根付いた文化的なカルチャーや、人々の暮らしから生まれる街並の陰影が全く感じられません。それ故、過去の騎馬民族的な歴史を出してくる事で、この街のイメージを演出しようとする。
自然な成り立ちの必然性を欠いたこの場所は、何かを生み出すエネルギーが決定的に欠けているかのよう。。。実際、この地域に建設されているのは住宅ばかりで、新たに産業を興していくような活気はまだ無いようです。産業を誘致する程の安定したインフラなどを設備投資するには、まだまだな感じがします。



そんな状況であっても、周りを取り囲んでいる途轍もなく広い平原の中に、ポツリと生まれた人々の営みには、複雑ながらある種の感慨を覚えてしまうのです。
如何なる環境であっても暮らしの場を見出し作り出してしまう、人間本来が持っている性(さが)のようなものを、ここでも見られたようで。

(続く。)